シュレディンガーの箱


「世界」とは何かと訊かれたら、君は何と答えるだろうか。

最も単純な共通認識としての「世界」ならば、所謂「世界地図」が思い浮かべられる。ただ、それは本当に私の、君の、彼の、あるいは彼女の「世界」なのだろうか。

世界地図……日本地図すら知らない幼子にとって「世界」とは、自分が見たり、聞いたり、嗅いだり、味わったり、触れたり、もしくは行ったりできる、行ったことのある場所なのではないだろうか。幼子にとって一番狭い世界は家の中で、その中で己の生殺与奪を握る両親というものは、その子の「神」と称せるべき存在だとも考えられる。

 それは、成長した今も同じなのではと私は思う。

 つまるところ我々が考える世界、ひいては地球というものは確かに共通認識上の世界ではあるのだが、しかし私が見えている世界、知っている世界と、彼女が見えている世界、知っている世界は必ずしも同じではない。つまり世界というものは人の数だけ存在しているのだ。

 ここで話を「世界」から「存在」に移そう。「存在」の確立には他者の認識が必要である。俗的な話にすると、「幽霊は存在するかしないか」という話題に言い換えることができる。幽霊が「いる」と主張する者はその存在を認識したものであるし、幽霊が「いない」と主張する者はその存在を認識したことのない者である。ざっくりと言ってしまえば、我々は幽霊である。存在と非存在の間をふよふよと彷徨う幽霊だ。更に言葉を変えるならば……シュレディンガーの猫というものを知っているだろうか。毒の煙が発生する装置を仕掛けた箱の中に猫を閉じ込めた後、暫く置いて再び箱を開けた時猫は生きているか死んでいるかという思考実験だ。これは物理学的な話であり、箱を開けた瞬間波動関数が収束し猫の状態が決まる云々というものだが、私はそんな小難しい話をするつもりはない。そして物理学は嫌いだ。生まれついた時から私と物理学というものの間には見えない壁があるというか、すれ違うというか、兎に角“合わない”のだ。それは置いといて、私が話したいのは猫である。猫は良い。可愛い。マフィアのギャングというものも大抵はペルシャ猫なりを膝の上に乗せ撫でている。私は犬か猫といったら猫派である。……どうも話がそれてしまう。簡潔に言うならば、「我々はシュレディンガーの箱の中にいる」。観測者は私であり、君であり、この世界の何処かにいる人間である。大きな視野で見ると、我々は存在と非存在が両立した状態で生活している。「初めまして」のその瞬間、お互いがお互いが入っている箱を開け、波動関数が以下省略、「存在」が確定するのだ。

 さて、何故私がこの場でこの話をするのかというと、此処に一つの集団がある。この春、その集団に九人の人間が新しく加わった。私の世界に九人の人間が存在を確立し、また彼らの世界にも私という人間が朧げながら存在するようになったのだ。自分の世界を切り取った一部を共有する人間が増え、私の世界は更に広がった。生きるということは多くの人間と出会うことであり、そしてそれは自分の世界を広げることである。それは自分の世界に存在する人間が多くなったということでもあり、海外に行ったから知っている場所が増えたということでもあり、そしてまた、自分とは異なる考えを持つ人間と交流することで新たな視点を手に入れることでもある。

 君が永久の眠りに就く時、君は一体どれ程の人と出会い、そして君の世界はどれだけ大きくなっているだろうね。

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 ええ、安心してください。URLやわざわざページ上部の公演タイトルを確認しなくても大丈夫です。貴方がご覧になっているのは間違いなく「劇団月光斜teamBKC 2015年度夏公演サマータイムマシン・ブルース」のブログです。正式にはウェブログです。

 前置きが長くなってしまってすみません。今回衣装小道具もとい小道具班に配属されました、ポンコツの方の三回生こと夜叉川灰です。此処では初めまして、ですね。

 新入団員が九人とは、中々多いのではないでしょうか。性別について贅沢を言わないならば結果は上々、と。

 さて、もう一つ長めの話をしましょうか。最近どうやら劇団内というか公演参加者の中で風邪が流行っているようで、マスクをしている子や咳をしている子、声がなんかおかしい子がちらほらいます。風邪、もとい感冒の原因は大抵コロナウイルス――というのは置いといて、感染についてのお話を少々。くしゃみや咳をすると、唾液や鼻水が飛びます。これを飛沫と呼ぶのは御存知でしょう。飛沫というものは、小さな埃などを核とした水の塊で、当然重さがある為落下します。落下までの時間は、落下開始時の距離に比例するため、身長が低い人のくしゃみより高い人のくしゃみの方が落下時間が長く感染力がちょっと強いようです。この飛沫の水分が蒸発し、残ったものを飛沫核といいます。この飛沫核は厄介なもので、とても軽いため中々落下せず、空気中を漂い、所謂空気感染を引き起こすのです。こういった話を聞くと、咳エチケットって重要ですよね。ですが、咳やくしゃみの時口を覆った手は、どうしていますか? その手で何処かを触ると、そこに誰かが触って接触感染を引き起こします。もっとも、これに関しては後から触った人も手を洗えという話ですが。電車待ちや満員電車の時、後ろででかいくしゃみをエチケット無視でされると、後頭部に唾液がべっとり付いた気がして、今すぐ洗いたくてたまらなくなる、というのは置いといて。唾が飛ぶのってくしゃみや咳だけじゃないですよね。喋る時にも唾は飛びます。見えても見えなくても。そして、演劇というものは舞台という狭い空間に複数の人間がひしめき合い、日常会話よりも相手の方を見て、相手に近付いて喋ることが多いです。つまり嫌な言い方をしてしまえば、飛沫感染の温床なのです。飛沫感染というものは、菌やウイルスが含まれた唾液や鼻水を吸い込むことで成立するので、くしゃみや咳経由じゃなくてもちゃんと成立するんですよ。体調管理は重要です。無理をして体調を崩すと周囲に迷惑をかけますし、遅れてしまった分焦りが出て、更にミスを重ねる恐れがあります。体調が悪いのを押して出席しても、更に自分を苦しめるだけです。それだけではなく、共演者に風邪を移す危険性もあります。しんどい時は無理をせず、ちゃんと休息を取りましょう。頑張らないと、と自分に言い聞かせるように思っている時ほど精神的にも身体的にも危ないのではないかと私は思っています。心も体も辛い時、時間は無いのは分かっていますが、ちゃんと休息する時間を作りましょう。もっと自分を大切にしましょう。薬学部生(一応)の先輩との約束ですよ。

 それでは、私はここら辺で。長々と失礼しました。私が文章を書くとどうも冗長になってしまうんですよ。ね、優雨さん。

 いつになるかは分かりません、もう二度とないかもしれませんが、また、いつかの公演でのブログでお会いしましょう。

 

   \マタネ!